「ジャーナルクラブの論文選ぶ」のと「料理当番の献立考える」のって似てない? ~ジャーナルクラブのあり方考察~

研究・実験・勉強

 学生の頃からラボのジャーナルクラブ (論文の査読会) で思う所がありました。どのような基準で論文を選べば良いの? どの程度準備すれば良いの? そもそもジャーナルクラブって何? 我々はどこから来てどこに向かうの?
 そんな訳でジャーナルクラブについての記事を書こうと思っていた明け方のベッドの中で、「ジャーナルクラブの論文を選ぶ」のと「料理当番の献立を考える」のは似ているのではないかとふと思いました。これが天啓か。
 ここでは、両者を比較しながらジャーナルクラブのあり方について下記3点記載します。

  1. ジャーナルクラブの意義
  2. 論文の選び方
  3. 準備の心構え

①ジャーナルクラブの意義
 ジャーナルクラブの意義は、「個々人で論文を読む」より「当番の1人が論文を読んで、その内容を複数人に紹介する」方が、集団 (ラボ、聴衆) の利益になることだと考えられます。「1人で料理して1人で食べる」より「料理当番の1人が全員分の料理を作る」方が、集団 (シェアハウス、寮) の利益になるのと同じです。…ね? 良い例えでしょ?
 料理は1人分作るのも複数人分作るのも、作業量は違いますが作業内容は同じなので、当番制にした方が効率的です。例えば、1人分の料理を作るのに30分かかるとして、10人分作るのに10倍の300分はかからないということです。論文紹介でも、理解するのに30分かかる論文を10人に理解して貰うのに300分は必要ない (場合が多い) ということです。
 1人で論文を読む場合は発表資料を作る必要はないなど、料理と論文紹介では異なる点はもちろんあります (料理の場合は1人でも複数人でも結局作る)。また、紹介しようと思うと論文をより深く理解できて、発表の技術も身に付くという、個人にとっての利益もあります (他人が食べる料理だと頑張って美味しくしようとするし、それにより料理の腕も上がる)。
 いずれにせよ、ジャーナルクラブ (料理当番) というシステムはラボ (シェアハウス) という集団の利益のためにあるというのが基本的な考え方かと思います。以下の記載もこの思想に基づいた記載です。

②論文の選び方
知人の優秀な研究者が、ジャーナルクラブでの論文の選び方は下記2つがあると言っていました。

A. 聴衆の多くがいずれ読む可能性が高い最新・最先端の論文をいち早く紹介
B. 聴衆の多くが自分からは読まないが、知っておくと有益な論文を紹介

 Aは最先端の研究紹介なので、解説に専門知識が必要になります。聴衆も興味を持ってくれますが、それゆえ質問も多く、議論が激しくなりがちです。発表者 (学生) より聴衆 (教員) の方が論文についての背景知識を持っている場合も多いので、その質問に答えるのは大変です。
 また本当に最新の論文でないと聴衆が既に読んでいる可能性が高いです。それを避けるには公表されてから間もないタイミングで紹介する必要があるので、十分な準備期間を取るのが難しいです。
 論文選びとしてはある意味王道ですが、ラボに配属されて間もない学部生がこの手の論文を選ぶのは割と覚悟が必要です。ボコボコにされます。逆にポスドクや教員がこの手の論文を分かりやすく紹介してくれると、学生に取っては利益が大きいです。

 Bは論文選びが大変になる傾向あります。聴衆の多くが自分からは読まない論文を狙うのですが、読む意義がない論文を選んではいけないという、絶妙な論文選択が必要になります。参加者が自分からは食べないかも知れないが、美味しかったり、栄養たっぷりの料理を選んで作るイメージです。あまり奇をてらい過ぎると何でこの論文紹介したの? (何でこの料理を食べさせたの?) みたいな感想を聴衆が持ってしまいます。選んだ理由を説明できるようにしておきましょう。
 論文内容はラボのメインテーマから少し外れた内容になりがちなので、聴衆が背景知識を持っていない場合もあります。ですので、発表者はかなり基本的な部分から勉強する必要があります。逆に言えば、基本的な知識さえしっかり押さえておけば、発表の場において発表者がその論文についての背景知識を一番持っている状態になれます。聴衆からそこまで専門的な質問が飛んでくることは少ないので、対応がしやすかったりします。
 一方で、背景知識がないゆえの突飛な質問も飛んでくるかも知れません。基本的なことから丁寧に説明しないと聴衆が理解できない場合も多いので、「結局よく分からん論文紹介だった」という感想を持たれないように注意しましょう。
 最新の論文である必要はないので、発表されてからある程度期間がたっている論文を選ぶことも可能で、準備に時間をかけることもできます。

 実際の論文選びにおいては、Aと Bのどちらかに振り切れている場合だけではなく、その中間という場合もあると思います。どんな場合も大事なのは、発表者の利益にはなるが聴衆の利益にならない論文紹介は避けるということです。自分の研究に関連する論文や、自分が興味がある論文だからといって、聴衆が聞いてもほとんど参考にならないような論文を紹介するのは避けましょう (極論ですが、免疫のラボで言語の成り立ちに関する論文を紹介するとか)。パクチーが好きだからといって、無理やりパクチーが食べられないルームメートにタイ料理を食べさせてはいけません。私はパクチーが好きです。
 どうしても紹介したい論文があるなら、どういう紹介の仕方をすれば聴衆の利益になるか、興味を持ってもらえるかを考えながら発表資料を作りましょう。

③準備の心構え
 「どの程度準備に時間を掛ければ」、正確に言えば「どの程度までなら準備に時間をかけて良いか」は悩ましい問題です。
 準備期間をかければ良い発表になります。1時間よりも10時間準備した方が良い発表ができると思いますが、10時間と100時間では大きな差はないかも知れません。10時間と100時間の発表に大差ないのであれば、差の90時間分を実験などの他のラボワークに使った方が集団 (ラボ) の利益になるかも知れません。
 準備時間の目安として、「発表時間 x 聴衆の人数」を考えると良いかも知れません。30分の発表時間で聴衆が10人なら、30分 x 10人 = 300分 (5時間) です。単純に考えると、大人1人を5時間拘束することになる訳なので、それだけの価値がある発表をしないと、ラボの利益という点ではあまり意味がないということになります。これって会議とかでも同じですよね?
 この場合は、準備時間に5時間程度はかけても良いと考えられます。100時間はかけ過ぎかも知れません。その分、他の仕事をした方が良い可能性があります。
 注意すべき点として、ラボの利益という観点では、聴衆1人ひとりの時間の価値は異なるという事です。教授の30分と学生の30分は、ラボの運営・維持・発展という観点からは等価値ではないという事です。多くの場合、教員を30分拘束する場合は、学生は30分以上の時間をかけて準備しても良いです (むしろ準備すべき)。もちろんこれはラボの利益という観点の話です。ラボ以外では教授でも学生でも時間の価値は平等ですよ
 ラボにとって誰の時間がどれだけの価値を持っているかを定量することは難しいので (多分無理)、学生のうちは発表準備に時間をかけ過ぎる位で丁度良いかも知れません。聴衆が30分かけて聞く価値のある発表だったという感想を持ってくれれば大成功です。 

 この発表準備には論文選択も含まれます。というより、論文選択が一番大事かも知れません。適切な論文を選択できれば発表資料の作成もだいたいうまくいきます。
適切な論文を選択できたかは読んでみないと分からない部分が多いです。なので、読んでみて何か違うなと思ったら別の論文にスイッチできるだけの時間的余裕を持って準備しましょう。時間に余裕がないと、別の論文を探している時間はないからよく分からん論文を紹介するという地獄が待っています。
 そんな地獄を避けるためにも、いくつかの候補論文を選んでおいて、時間に余裕をもって準備しましょうという、夏休みの宿題は計画的にやりましょう的な、それができたら苦労しないよという結論に至ります。料理当番の話どこいった?

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