Google アプリ:これ!が見つかる ベドリントン・テリア篇
のCMを見て考えたことがあります。
CMの内容を簡単に説明すると、
1. 珍しい種類の犬を抱えた飼い主に「(写真) 撮って良いですか?」と尋ねる
2. Google アプリのカメラ機能で検索する
3. 「ベドリントン・テリア」という犬種であることが分かる
という感じです。
そのCMを初めて見た時に感じたのは「写真撮って良いか聞いてGoogle アプリで犬種を調べるなら、飼い主に犬種を直接訪ねたら良いのではないか?」という点です。この記事ではその疑問を契機に、このCMがなぜこのような構成・脚本になっているのかを自分なりに考察します (え、この記事マジでどこに需要があるの?)。 記事の最後に、それらの考察をもとに伝える手段を選ぶ難しさについて考えます。
実際にCMを見た後に、下記をお読み頂けると幸いです
- 写真撮影の許可依頼は、犬種の質問よりハードルが低いのか?
- 撮影許可を依頼しないシチュエーションではダメか?
- 別の被写体ではダメか?
- 伝える手段の選択は難しい
1. 写真撮影の許可依頼は、犬種の質問よりハードルが低いのか?
私の感覚では、犬種を尋ねることは、写真撮影の許可依頼よりハードルが低いことです。「写真撮って良いですか?」と聞くなら、「犬種は何ですか?」と尋ねる方が簡単・迅速・確実ではないか、という疑問からこの記事の執筆がスタートしています。
もしかしたら、多くの人にとっては写真の撮影依頼より、犬種を尋ねる方がハードルが高いのかも知れません。SNSの普及により写真を撮る行為が一般的になった現代では、写真を撮る行為およびそれに関連する行為のハードルは、私が考えているより低い可能性があります。写真を撮るという行為はカメラと被写体との間の行為であり、人と人との直接的なコミュニケーションを必要としないことも、Google アプリで犬種を調べるという選択がされた原因かも知れません。犬種を飼い主に尋ねるのは、人と人との直接的なコミュニケーションが必要です。直接的なコミュニケーションは避けられるご時勢なのかも知れません。
いつの間にか私と一般の人の感覚が大きく乖離してしまったのかも知れません。私はカメラで写真を撮る習慣がほぼないです。それどころか休日に外出することもほぼないので、一般の人の感覚を失ってしまうのも無理からぬことです。悲しい事です。
…いや違うな。私がヒトの心を失いつつあることは百歩譲って認めるとしても、やはり依然として、多くの人にとっては撮影を依頼する方がハードルが高い行為だと思います。家族にも聞いてみました (n = 1)。という訳でこの仮説は却下して、次の話題に行きます。
2. 撮影許可を依頼しないシチュエーションではダメか?
このCMでは撮影許可を依頼しているから上述のような疑問点が浮かんできます。ということは、撮影許可を依頼しないシチュエーションなら、少なくともアプリを使う不自然さはなくなります。
ですがその場合、「許可なしで撮影をするのが問題ないのか?」という別の疑問が浮かんできます。少なくともその犬を抱えている飼い主の許可なしに、いきなり撮影をするのは失礼ですし、そのようなCMは炎上しかねません。この場合に失礼に感じるのは、被写体の責任者 (保護者、所有者、管理者) がそばにいて、明らかだからでしょう。
では、レースや品評会の最中などに許可なしで撮影するというシチュエーションはどうでしょう。その場合、「レース中に飼い主の許可なしで撮影してよいのか?」、「レース主催者は撮影を許可しているのか」、「主催者が許可していたとしても、飼い主の許可を得ないのはマナーとしてどうなのか?」という疑問を感じてしまうかも知れません。もしかしたら、現行のCMより多くの疑問・議論を呼んでしまうかも知れません。これらの疑問は、CMしたアプリとは本質的に関係ない問題です。視聴者に本質ではない疑問をできるだけ持たれないように、レース中の許可なし撮影のシチュエーションを避けているのかも知れません。
では、この犬種を動物園やペットショップで見かけた際に撮影するのはどうでしょう。このケースの場合、この犬種が珍しいものであることから、近くに犬種を説明したプレートなどがあると考えられます。撮影しないでその説明を読めよ、という話になります。アプリを使用するのが不自然になるので却下です。
3.別の被写体ではダメか?
では思い切って、飼い主が明らかではない別の被写体ではどうでしょう?
例えば、道を歩いていたら見慣れない生き物 (コモドドラゴンなど) に出くわして、それを撮影するシチュエーションではどうでしょう。この場合、「見慣れる生き物に不用意に近づくなんて危険! うちの子が真似してコモドドラゴンに近づいたらどうするんだ!」みたいな議論になるかも知れません。
では、例えば朝カーテンを開けたらベランダにコモドドラゴンがいて、それを窓越しに室内から写真を撮るというシチュエーションはどうでしょう。窓で隔てられているので安全であると仮定します (コモドドラゴンなら多分窓を破れるので、実際は安全ではないと思います。この注意書き必要?)。この場合、「このコモドドラゴンはどこから来たのか?」という疑問が浮かんできます。「無責任な飼い主が放棄したのか?」、「そもそもコモドドラゴンって飼えるの? ワシントン条約とか大丈夫?」、「舞台は日本だと思っていたけど、もしかして東南アジア? 東南アジアってベランダに普通にコモドドラゴンいるの?」みたいな、やはり本質ではない疑問が沢山浮かんでくるので、やはり却下です。
では安全な被写体、見慣れない植物などはどうでしょう? この場合の問題点は、被写体に動きがないので絵面が地味になる点です。日常生活で検索したくなるほど珍しく特徴的な植物 (ラフレシアなど) に出会うこと状況も、現実的ではありません。仮に道端にラフレシアが咲いていたら「何でここに咲いているの? 日本で育つの?」、「我々が警戒すべき外来種ってラフレシアも含まれるの? 多様性ヤバない?」、「ラフレシアだと分かったらまずは臭いを嗅げよ!」、「ポケモン新作にラフレシア内定したっけ?」など、やはり本質的でない疑問が浮かびます。かざすだけで瞬間検索「 Google レンズ」など、既に植物を調べるCMもあるので、やはり却下です。
4.伝える手段の選択は難しい
以上のことより、犬種を直接聞けば良いのにという疑問はありつつも、飼い主に抱かれたベドリントン・テリアを撮影するというシチュエーションは、(少なくともベランダのコモドドラゴンよりは) Google レンズの機能を伝える手段として悪くないと言えます。実際にこの犬種は外見で目を惹きますし、CM映えする魅力があります。魅力的でなければこんな記事は書きません。
伝える手段を選択は多くの場合悩ましいものです。本ケースの場合、伝えたいことは「Google レンズの性能」、伝える手段は「飼い主に抱かれたベドリントン・テリアを撮影する」になります。手段の選択に際しては、Google レンズの性能が伝われば良いというだけではダメです。そのシチュエーションが社会的・倫理的に問題ないか、他の余計な疑問を持たれないか、既視感がないか、実際に使ってみたいと思わせられるかなど多くの要素を考える必要があります。CMの場合は特に考える要素が多い事でしょう。
このCMを見て、我々の日常生活 (仕事、家庭) においても、自分が伝えたいことは何か、それを伝える手段にはどのようなものがあって、どれを選択するのが適切か、を考えることの大事さを考えました。なんか良いこと言ってまとめようとしているけど、この記事100%雑談だからね。コモドドラゴンとかラフレシアの話していたからね。
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